掲載日:2018.11.6

「日本の劇」戯曲賞2018 最終選考委員選評

『日本の劇』戯曲賞2018 最終選考委員選評  



                              

「日本の劇」戯曲賞2018(主催/文化庁・日本劇団協議会)の最終選考会が2018年9月25日、日本劇団協議会会議室にて行われ、最優秀賞が次の通りに決定しました。
最終選考委員の演出家は板垣恭一、上村聡史、内藤裕敬、中屋敷法仁、宮田慶子の5氏(敬称略、五十音順)です。

             【最優秀賞】 中越信輔 『酔鯨云々』


 最優秀賞受賞作品は贈賞として、2019年度に恵比寿・エコー劇場にて上演されます。演出は中屋敷法仁氏の予定です。
なお、今年度の応募総数は49作品。一次選考を経て最終候補作品として選出されたのは、次の4作品でした。


             【最終候補作品】(受付番号順)

            佐藤雅俊   『浪人生は推薦入試を認めない!』
            霜 康司   『破れ傘 洒落本山東京伝』
            澤藤 桂   『密猟者ジョバンニ「銀河鉄道の夜」より』
            中越信輔   『酔鯨云々』
                              

■【最終選考委員選評】■

「暴力」について考える 板垣恭一

『酔鯨云々』を推しました。いろいろな部分が荒く不満もあるのですが、上演版を観てみたいという気持ちが大きかったからです。審査後それは何故かとしばらく考えていたのですが、ひとつ自分なりの仮説が立ったので、その説に沿って選評を書いてみます。
 「物語とは “暴力とどう対峙するか” についての考察である」これが仮説です。「暴力=抗うことができない圧倒的な力」と定義しました。例えば「戦争」「いじめ」「ブラック企業」「権力」などなど。『浪人生は推薦入試を認めない!』では「受験」や「学歴」がその役割を果たしています。さらに「不治の病」もありました。この作品、僕はとても気に入っています。暴力と対峙するものとして「勉強」という結論が素晴らしかった。無知は暴力の温床です。現代の若者たちは勉強することで、暴力を突破するのだなと嬉しくなりました。ただしスケールが小さかったのが弱点です。いろいろな立場の人(観客)を連れて行けるほど物語の広がりがない所がありました。
 『破れ傘 洒落本山東京伝』では「火事」や「病死」や「お上」という暴力が描かれましたが、対峙する部分が描かれていないように感じました。評伝にありがちな弱点かもしれませんが、登場人物たちが運命を受け入れるだけに見えたのがもどかしかったです。
 『密猟者ジョバンニ「銀河鉄道の夜」より』では暴力の所在がよく分かりませんでした。だからなのか、どう読むべきか入口を見つけるのが難しかったです。
 そして『酔鯨云々』です。この作品ではこれまで指摘した種類とは違う暴力にスポットが当てられていました。それは、我々すべての人間が持つ「内面の暴力」です。
暴力に対して我々は被害者にも加害者にもなりうるのですが、得てして人は自分の中にある暴力は認めたがりません。しかし「格差」や「不景気」という外部からの暴力が激しい現代「内面の暴力」に目を向けざるを得ない状況が増えているのではないでしょうか。「やられたら、やり返していいのか」というテーマを持つ『酔鯨云々』。上演版が楽しみです。

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相互関係の変化に面白味を
上村聡史


 今年の戯曲賞は、“ライト”というか軽快な作品が多かったような気がします。とはいえ、社会的なテーマであろうとヒューマニズムな作品であろうと、テーマで評価が左右されることはなく、“個”から繋がる恋人や家族といった関係、単位が大きくなれば国家や社会・経済・宗教・戦争・科学といったものとの関係、そして記憶や歴史・未来・時間軸といった抽象的な概念との関係、というように“他”との相互関係の変化にドラマの面白味を見出せるかが大事だと思うのですが、軽快な作品が多かった分、一個人が何に対して喜び、悲しんで様々な情感や現象を多面的に表出させ、そして“他”との相互関係に醍醐味を味わえばいいのかが、“ライト”なだけに、そのあたりの出来不出来に目がいきがちでした。
 最終候補の作品でいえば『破れ傘 洒落本山東京伝』は、台詞の躍動感と感情の機微など目を見張る上手さはあったものの、評伝劇だからこそ、人と芸術、時代、死といった概念との相互関係を作者なりの視点で描いてもらいたかったし、それが可能な作家に思えました。
 『浪人生は推薦入試を認めない!』は、台詞のやりとりが即物的(そのあたりこそが作者の狙いだったかもしれない)でした。例えば、あえて言葉をそぎ落とし、現実味のある“ライト”な距離感の中に、 “ヘビー”な相互関係の変化を持ち込むこと(“病気”というエピソードを使ったが、これは事象の提示だけなので重量級の相互関係の変化にはならない)が展開するようなドラマを望みました。
 『密猟者ジョバンニ「銀河鉄道の夜」より』は、原作の主軸をしっかりと理解していながらも、意外性のあるパロディ化にはなっておらず、作者が原作で感じた心象をしつこく探究し、そのしつこさを作劇にもっとフィードバックしてもらいたかったです。
 そして、『酔鯨云々』は、点として内在されてしまった題材、ステレオタイプな人物造形、言葉過多など、どれをとっても粗雑に感じました。ですが、「三一致の法則」を踏襲しながら、現代日本の在り様をメタファ化し、観客に何を想像してもらいたいかという意識が必死で、粗削りながらもタブーを扱っただけではない、“個”に対峙する“他”との関係にドラマを作ろうという強い気概を感じました。そういうわけで本作を最優秀賞に推したわけですが、上演に関しては、演者たちのライブ感を大事にすべく台詞の多くを一段と練り上げていただきたいのと同時に、天皇制、地域性、日本という国体と、個人の尺度で設定されてしまう交流のリミッター、つまりローカルな思考性を、劇作家としてどう批評するのか。このテーマを演劇的表現で提示するには更なるセンスが問われるかと思います。ですが、この作品の気概こそが表現の核になるわけですから、期待したいところです。


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私は信じました
内藤裕敬(南河内万歳一座)


『浪人生は推薦を認めない!』佐藤雅俊氏は、とても意欲的だと思う。何か面白い会話、面白い瞬間を求めて持久力を使う。物語の完結へ向かい戯曲へ必死にチャレンジしている。しかし、展開に奥行きがない。意外に、意外性が無い。会話と共に、その辺りも遊べたらと思う。今後に期待する。
『破れ傘、洒落本山東京伝』霜康司氏は、台詞も会話もうまい。書き慣れておられる。きっと、私よりうまい。展開も面白い。ここに、御本人のオリジナルな、山東京の物語への構造が見えれば受賞だったろう。私達の今、現在が見える構造が、山東京伝の中に欲しい。
『密猟者ジョバンニ「銀河鉄道の夜」より』澤藤桂氏は、賢治の世界観を、どう自分なりに発展させようかと努力されている。幻想性、不思議の関係、等々。最後まで読まされてしまうのは、御本人の腕前だと思う。しかし、読み終えた時、この物語、登場人物、関係性に、私の胸に突き刺さるメタファが少ない。二度読んでみたが、私には探し出せなかった。銀河鉄道の夜を思えば、父のイメージへの踏み込みが浅い。発想と筆力は有る。幻想文学の力を信じて下さい。
『酔鯨云々』中越信輔氏には、言いたいことが、たくさんある。御自身の様々な問題意識を一本の作品に詰め込もうとする時、どんな状況設定に落とし込むべきか?そこが大胆、そして暴力的。おそらく作者の持ち味で、文体を感じる。しかし、それがイカサマだった時、劇作家の良心に問わねばなるまい。そこで、迷った。疑った。案外、お気軽に、この作品を書いていたらどうしよう。問題意識がストレスの発散の域だったら。作者が心の奥に持つ強烈なリアリティで書いていなかったら。けれど、最終的に中越さんを信じようと思った。信じさせるだけの劇構造と怒りが作品の中にあると思った。大賞、おめでとう。

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底知れぬ可能性と不気味な魅力を感じた
中屋敷法仁(柿喰う客)


 日本という国とそこに生きる人々のことを想えるか。また現代の日本の観客の前で上演する必要があるか。審査にあたってはこの二点を重視した。
 モチーフに対する強い思い入れを感じた『浪人生は推薦入試を認めない!』は、物語の展開の稚拙さが目立った。会話のひとつひとつは巧妙に練られているにも関わらず、それが繰り広げられる場所と時間、つまりは劇場空間をクリエイトできていない為に、劇中人物たちの複雑な心理や葛藤が浮き上がって来ない。演劇的なシチュエーションを鈴木聡や三谷幸喜の作劇から学ぶべきである。
 『密猟者ジョバンニ「銀河鉄道の夜」より』は、その名の通り「銀河鉄道の夜」を下敷きとした物語であるが、本歌取りにはほど遠い。斬新であったはずの密猟とうキーワードが、単発のアイディアで終わっている。別役実「ジョバンニの父への旅」の大胆な構成を知る私にとって、この戯曲から得られるものはなかった。
 最も丁寧に作り込まれているのは『破れ傘 洒落本山東京伝』だ。山東京伝の生きた時代が確かな手触りで描かれているが、井上ひさしの評伝劇に見られるような愉快さや劇的展開に乏しく、劇場で俳優が演じるには不安が多い。先人の劇作家の名前を用いて評するのは酷かもしれないが、それでもやはり上記の三作は、戯曲というものに対する最低限の知識や教養が欠けている。残念でならない。
 そして『酔鯨云々』だが、この作品は完璧なまでに、戯曲としての体を成していない。そこにあるのは圧倒的な密度を持った作者の言葉のみである。姿形だけ戯曲のふりを装う作品が多い中、この荒々しさと潔さは刺激的だった。扱うテーマが多彩なあまり全体として未整理な印象はぬぐえないが、それでも、この戯曲が演劇となり現代の観客にどのように突き刺さるのか、強い興味を抱いてしまった。底知れぬ可能性と不気味な魅力を感じ、最優秀賞という結果に賛同した。

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“戯曲”へのこだわり 宮田慶子(青年座)

 応募総数49作品の中から、4作品が最終選考に選ばれた。
 一次審査の段階で、候補作品を読み進めながら、次第にもどかしさと、疑問と焦りのようなものが募っていった。
「“戯曲”という概念自体が、崩壊してきているのではないか・・」。
 もちろん、戯曲のテーマもスタイルも基本的には“自由”である。演劇は“多様”であるべきだし、「かならず上演をする戯曲賞」であるからには、演出家を唸らせるような冒険や挑戦も大いに歓迎である。
 だが実際には、「ご都合主義的な構成」「深みのない安直なセリフ」「面白みのない人間像」「近視眼的で客観性のないテーマとの距離感」、またスタイルとしても「コント台本」や「アニメ台本」、「パフォーマンスのための構成台本」のようなものもあり、「戯曲」というものにこだわろうとする意欲も、果ては「演劇」に対する愛情もないのではないかという暗澹たる思いにかられる。
 会話劇の体裁をとっているものでも、(意図的に仕掛けられた様式としてでなく)場面設定がコロコロ変わり、まるで手品のように大規模な場面転換や衣装替えが頻繁に行われたり、「基本」が認識されていない。
 おそらく“書き手”の脳内には、断片的な「映像」は存在するが、「舞台」は設定されていないのだろう。
 いったい、古今東西・・とは言わなくとも、少なくとも同時代の自分以外の劇作を読んだことはあるのだろうか・・。
 舞台は「空間芸術」であり、「時間芸術」である。
 滞ることなく、違和感なく、ご都合主義でなく、観客の視点や心情・心理を揺さぶり動かし、装置、衣装、舞台機構などの現実の具体物を“何か”に変身させて、時間を前へ前へと動かしながら「彼の地」に誘うのが「演劇」であり「戯曲」である。
 最優秀賞に選ばれた『酔鯨云々』は、架空の法律のリアリティに危うさがあるが、土佐方言と、強烈な個性の登場人物たちと、破天荒なほどの執念などにおいて、そのオリジナリティでは群を抜いている。
 足腰のしっかりした、上演をぜひ観たくなる戯曲を、心から待ち望んでいる。



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文化庁委託事業「平成30年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」
日本の演劇人を育てるプロジェクト 制作:公益社団法人日本劇団協議会